ここではクトゥルフ神話作品の定義について解説したい。
何を持ってクトゥルフ神話作品とするか。
それは極めて難しい話だ。
そもそもラヴクラフト自身が後期の作品に至るまで
年代記の統合を行って来なかった。
さらにラヴクラフトの世界の幻想性が極めて大きかったのも
理由の1つとしてあげられるだろう。
クトゥルフ神話に参加した作家たちの中でも
神話要素の解釈は様々で、不統一であった。
オリジナルの旧支配者を創るものもいれば、
一見神話作品に見えないものに神話要素を入れる
作家もいた。
乱暴に言えば、クトゥルフやヨグ=ソトース、ネクロノミコンなどの
魔道書が出ていれば神話作品だと定義できるともいえるし、
そういった用語が全く出ていなくても、十分にクトゥルフ神話作品だと
いえるものも存在する。
日本では某光の巨人が邪神と戦ったり、
ネクロノミコンが美少女になってたりする作品もある。
これらをクトゥルフ神話作品だと言うことには
難色を示す人もおられようが、
私としては頭から否定するのはいかがなものか、と思う。
あらゆる矛盾を内包した混沌とした世界。
それこそがクトゥルフ神話なのだから。
ラヴクラフトの弟子であったロバート・ブロックは
作家リン・カーターへの手紙でこう語っている。
「クトゥルフ神話に参加するのは非常にゲーム感覚で楽しいものだった」
ラヴクラフトやその仲間たちは自作の設定を持ち寄っては
互いの作品に取り込んでいった。
ロバート・ブロックとラヴクラフトにいたっては
それぞれの作品内で、それぞれをモデルにした人物を
神話の怪物に殺させる、ということをやっている。
良い意味で緩い繋がりこそがクトゥルフ神話の魅力であり、
面白さなのであろう。
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